2016-06-15-13-11-47

今回は、株式会社NISHIZAWA代表取締役であり、カスタムメイドスーツ「RYOMA」ブランドを立ち上げた、西澤良磨さんにインタビューをしてきました。

この日が初対面でしたが、お互いの好きな漫画「ワンピース」でも意気投合し、あっという間に1時間が過ぎてしまった熱いインタビューとなりました。


---インタビュー開始---

2016-06-13-15-47-12


就職のアテなし、人脈ゼロ。4万円だけ握りしめて東京へ

---本日は宜しくお願いします。

西澤さん:こちらこそ宜しくお願いします。

---今日はオーダースーツ「RYOMA」ブランドを立ち上げた経緯や、その想いについて聞かせて頂きたいんですけど、簡単にこれまでの経歴を教えて下さい。

西澤さん:はい。8歳から20歳まではバスケ一筋で、17歳(高校2年生)の時にはアメリカに行きました。

これがその時の写真なんですけど(笑)4年前の19歳の頃の写真ですね。

2016-06-15-13-11-04


---うわっ!!マッチョマンじゃないですか(笑)。今はだいぶスマートになりましたね!

西澤さん:そうですね。何もしなかったら少しずつ落ちてきました。

元々、高2で留学すると決めてたので日本では英語科の高校に入学して、留学しても単位が取れるような学校に通ってました。

---実際行ってみて、アメリカと日本ではバスケのレベルは違いましたか?

西澤さん:全く違います。高校まではある程度通用したんですけど、大学はレベルが違いすぎました。

向こうって、ポイントガードなのに190センチあって、しかもシュート打てて速さもあるんですよね。

どこで勝てんだよって(笑)ここまで違うのか。と衝撃は受けましたね。

---それはかなりの衝撃ですよね。その衝撃からいつ頃日本へ帰ってきたんですか?

西澤さん:訳あって、2013年の5月1日に日本に帰ってきて、2週間後の5月15日に東京出てきました。4万円だけ握りしめて。

---4万円だけですか?

西澤さん:はい。就職のアテもないし、人脈ないなら作るしかないなーと。だから覚悟だけはありました。

当時は取材したり、色んなイベントやったり、講演会参加したら、必ず1番最初に手を上げて質問したり。

とにかく相手の印象に残ることをとことんやってましたね。

---その行動力はすごいですね。

西澤さん:ただ、アメリカではバスケットボールの夢を諦めた後に、自分が空っぽになって、何のために生きてるのかわからなくなってたんですよね。

ホントに夢も希望もない19歳でした。今振り返れば、軽いうつだったかもしれないですね。

日本に帰国しても心から笑えなかったですし。


「孫さんに出来たんだから、良磨にも出来るよ!」が人生を変えた

2016-06-13-15-46-42

---そうだったんですね。そこからどうやって気持ちを取り戻していったんですか?

西澤さん:一時帰国した時に、東京でカズさんという起業家の方と会って、色んなことを質問されたんですよ。

「アメリカはどう?」「バスケはどう?」「仕事はしてるの?」って。

その時何もしてなかったので、ぼくその質問に対して何一つ自信持って答えられなかったんですよ。

で、一通り僕の話を聞き終わったカズさんが

「良磨さ、今できないことに目が向いてるよ。できることに目を向けないといけないよ。」って言ってもらえたんです。

そのあとに孫正義さん(ソフトバンク創業者)の話になって、

孫さんは父親が倒れて、大変な時に泣いてる母親を置いてアメリカに行ったんだよ。

学費も生活費も全部自分で払わなきゃいけない状況で、彼は発明を始めて新しいものを毎日創り続けた。

投資家にも会いに行って、「自分が成功した暁にはこれだけの報酬を与えるから投資してくれ!」と走り回った。

その発明の中で当たったのが電子辞書なんだよ。

これね、今の良磨(当時20歳)と同じくらいの年齢でやってるんだよ?

孫さんにも出来たんだから、良磨にもできるよ!


この言葉が僕の人生変えたんです。

当時空っぽだった心に雷が落ちてきて、そのあと何かが灯って、何かしなきゃいけないと思いました。

その時一番最初に出来た夢が、ブランドを立ち上げることだったんです。

ブランドを確立させて、ブランドを通して世界最強の寄付財団を作って、世界を変えよう!と。


母親が余命1年を宣告される

---カズさんの言葉がかなりの分岐点だったんですね。

西澤さん:はい。それがきっかけで復活して、まずはバイトで化粧品の実演販売して、お客さん集めて笑わせたり。

ある程度稼いで、よしアメリカに帰ろうと2013年の1月5日にアメリカに戻ると決めてたんですけど、

その直前の元旦に母親が急に倒れてしまって。

「大丈夫だから」と母親も言ってたので、予定通りアメリカに戻ることにしたんです。

でも、2月中旬くらいに母親から電話が来て「実は手術するんだよね。帰ってきてほしい」と言われて、日本に帰りました。

無事手術は終わったんですけど、僕長男なので主治医の人に呼ばれて

「想定していた以上にかなり悪い。100万人に1人の珍しいガンだ」と言われたんです。

で、そのまま先生にウィキペデイア見ながら病気の説明されたんですよね。

---ウィキぺディアですか???

西澤さん:医師の人もそれくらいわかってない病気で、治療法も確立されてないと言われました。

末期ガンで余命1年と言われたんですけど、でも母親は薬は入れたくない!と強く望んでいて、「健康的に生きて1年間楽しく健康寿命で生きたい。」って言ったんですよね。

それを聞いて、僕はアメリカの大学を辞めることを決めました。

---きっぱり決めたんですね。

西澤さん:でもやっぱり日本に帰る前に、葛藤はありました。

向こうに親友もいたし、彼女もいたし、鍛えたい時に鍛えられて、学びたい時に学べるし、向こうの生活は好きだったので。

夢と現実の狭間にもいたっていうのもあって、お金を出してもらってアメリカ留学までさせてもらって、そんな俺が日本で新しい夢を追う権利があるのかな?と悩みました。

で、これはかなりスピリチュアルな話になっちゃうんですけど(笑)

ある時、突然光が降ってきたんですよ。

キラキラって降りてきて、第一声で「夢は生きてる!」って言ったんです。

確かに夢の形式は変わったかもしれないけど、あなたが歩んできた軌跡、経験はこれからの夢の土台になってくれるんだよ。だから夢は生きてる。

そんな声が聞こえてきて、その瞬間はもう大号泣でした。

---また分岐点になる言葉が来たんですね。

西澤さん:はい。しかも背中を押してくれたのはそれだけじゃなくて、向こうにプエルトリコ人の大親友がいたんですけど、

そいつに「俺、大丈夫かなぁ?」ってポロって聞いたら

リョーマ!俺はお前以上にお前が成功してることを知ってる。信じてる」って言ってくれたんですよ。

ズドンとその言葉がさらに入ってきたので、覚悟がはっきりと決まりましたね。

2016-06-15-13-11-42


100万人に1人のガンが消える奇跡が起きる 

---覚悟を決めて日本に帰ってきて、まず最初に何をされたんですか?

西澤さん:6月に一番最初に講演会やったんですけど、最初は全然上手くしゃべれなかったです。起承転結も全くなくて、自分が何言いたいのか分からなくてテンパって(笑)。

で、その後9月頃から始めたインターネット事業が軌道に乗って、ある程度の資金と時間の余裕もできたので、ようやく親孝行が出来るようになりました。

---親孝行はどんなことをされたんですか?

西澤さん:国内旅行や海外旅行に一緒に行ったり、ランチしたり、ディナーしたり。

ふと親孝行って何かな?って考えた時に、楽しい時間を一緒に過ごすことが一番の親孝行かなと思ったんです。

物は持っていけないけど、楽しい思い出とか想いって持っていけるじゃないですか。

とにかく笑ってて欲しかったので、ずっとそれを続けてたんですよ。

そしたら翌年の2014年の4月に母親のガンが消えてたんです。

---消えたんですか?奇跡が起きたんですね。

西澤さん:はい。彼女なりにも努力はしてましたし、それから毎月1回は母の日を作ってます。

---かなりいい流れになってきましたね。

西澤さん:でも2015年の1月くらいにいきなり僕の収入がストップしてしまって。。

そこでまたどうするか?と考えました。

そんな時にある人に出会って、その人は経営コンサルとかオーダーメイドスーツをやってたんですけど、「今後若い世代の人たちを起業させていきたい」と言ってたんです。

その人に「オーダーメイドスーツやる?」って聞かれて、僕は2秒で「やる!」って答えたんですよ。たぶん潜在意識が働いてたんですけど。

でも結論から言うと、その人詐欺師だったんですよね。

---えー。

西澤さん:僕には投資話などしてこなかったんですけど、僕の周りではやられてたんですよね。

発覚し始めたのが去年の5月くらいで。

まず、メンバーどうしようか?と考えて、メンバーのその後の働き口を探して見つけてあげて。

「さて、俺は今後どうしよう?オーダーメイドスーツやるか?でも、スーツも服も何も作ったことないぞ」と。

なので、まずは工場を見に行ったんですけど、事情説明したら意外と優しく教えてくれたんですよね。

そこから自分で勉強したり、今でもアドバイスしてくれる師匠に聞いたりして学んでいきました。

---そこからスーツが始まったわけですね。

西澤さん:はい。初めてのお客さんは2015年の6月29日で、ちょうど1年くらい前ですね。

7月末に初めてオーダーしたスーツが届いた時に、こんな感じで出来るんだ!と面白くて、さらに勉強して勉強してハマっていきました。

あぁこれ天職だなと思いましたね。だって飽きないんですよ。生地見ながらお酒飲めますし(笑)

---お酒飲めるんですね!(笑)。今はどこにやりがいを感じてますか?

西澤さん:お客さんの歩んできた人生だったり、今後自分をどうプロデュースしたいのか?

一人ひとりの想いを聞いてからコーディネートできるので、こんな楽しい事ないよなって感じてます。

K1チャンピオンの武尊(タケル)さんや、経営者の方々、この前はハワイのカメハメハ大王のスーツも作らせて頂きました。

2016-06-15-13-12-09
左:現K-1 WORLD GP55kg王者の武尊さん。白スーツは「RYOMA」ブランド。

2016-06-15-13-11-12
左:西澤さん 右:武尊さん

---すでに有名な方もお客様になってるんですね。今でも核というものは変わってないですか?

西澤さん:はい。僕の一番の目的は、僕のブランドを持った人や身につけた人が、誰かに自慢したくなるようなブランドに育て上げることです。

自分の人生を通してブランドを確立させたいですね。


自分自身が選んだ道を正解にするために行動する

---ありがとうございます。今日はかなり熱いインタビューになりました。最後に残したいメッセージや想いはありますか?

西澤さん:そうですね。僕、人生に正解の道ってないと思うんです。

この道を選んだ時にも、周りから色々言われましたけど、正解かどうかわからないけど僕はやりたかったんです。

だから自分自身が選んだ道を正解にするために行動してます。

特に日本人って正解を求めたがる人が多いと思うんですけど、僕は正解なんてないと思ってて。

大事なのは、自分の選んだ道を正解にするために行動する事だと思います。

情熱・想い・行動力・努力があれば、誰でも夢や目標は叶えられるんだ!という事を、自分を通して証明したいですね。



custom-made suit RYOMA
〜男は一生かっこ良く 女は一生綺麗で〜
良磨
新しくしたロゴ。左上にある「i'mprove」は、improve=改善する。prove=証明する。を組み合わせたもので、熱い想いが込められている。「自分自身をよく磨き、改善していくことで証明する。」という意味。


西澤 良磨(にしざわ・りょうま)
2016-06-15-13-11-38
23歳。株式会社NISHIZAWA代表取締役。オーダースーツ「RYOMA」ブランドを立ち上げる。夢は「ブランドを通して世界最強の寄付財団を作り、世界を変えること」


Facebookページはこちら↓
Custom-made suit RYOMA