荒川桜子さん

今回は、ピアニストとして活躍されている荒川桜子(あらかわ・さくらこ)さんへのインタビュー記事です。前回取材させてい頂いた、サッカーチーム「FCレアーレ」を繋いでくださった多田さんからまたまたご縁を頂いて実現したインタビュー取材となりました。

荒川桜子さんとの初対面で受けた印象は、笑顔に溢れていて、とてもキラキラした素敵な女性という印象でした。

しかし、取材を通して今までの人生を伺ってみると、自己否定孤独な過去があったことも分かり、最初の印象からは到底想像のできないようなストーリーが目白押しでした。


-----インタビュー開始-----

音楽に囲まれていた幼少時代


---今日はよろしくお願いします!早速質問になりますが、桜子さんが音楽を始めたきっかけを教えて下さい。

桜子さん:こちらこそ宜しくお願いします。

親が音楽が好きというのも大きかったですね。生まれた時からずっと音楽に囲まれた環境でした。

家の隣は八百屋だったんですが、八百屋のお兄ちゃんがビートルズが大好きな人で、毎日のようにビートルズが聴こえてくる。 

さらには、目の前の御宅のお兄さんがピアノ好きで、ショパンやリスト、ベートーヴェンなどを弾いているのが毎日のように聴こえてきていました。

---まさに音楽に囲まれてますね!(笑)

桜子さん:そうなんです!だから習うというよりは、自然に音楽に触れた幼少期を過ごしてました。

エピソードとしては、オムツがまだはずれてない頃、よく喋れないのに隣の演歌教室に行って、「音が違う!」とか偉そうに言ってたみたいです(笑)

---かわいい(笑)音程がズレてるのが分かってたんですね!

桜子さん:そうですね。もともと耳は良かったみたいですね。

母は、私が変わってる子どもだったから一人で楽しめるものがあればと私が4才の時に音楽教室に通わせたようですが、教室では私だけかなり浮いていたと思います。

聴音の問題を出されても、他の子供達が答えを言う前に正解が分かるので、ポンポン答えてたら

「桜子ちゃんちょっと黙っていましょうね」って毎回言われていましたから(笑)

荒川桜子さん
幼い頃の写真。

---すぐ分かっちゃうんですね!正直、退屈でしたか?

桜子さん:そうですね・・・

ずっと家でも洋楽を聴いてたので、子ども用の曲はなんか子供っぽいなーて思って聞いてたのを覚えてます(笑)

でも、先生が弾いた音がなんの音か分かることは楽しかったですよ!

---そう感じてることは親には話したんですか?

桜子さん:んー、話してないですね。子供心にそういうものなんだろうなと思ってました。

母からは練習しないと「もうやめちゃいなさい!」って楽譜を破かれて叱られたので、その度に私は大泣きしながら「お願いだから続げざぜでぐだざいぃぃぃぃ」とお願いしてました。(笑)

でもまた練習しなくてその都度同じことを繰り返して(笑)

---泣きながらお願いするって、よっぽど音楽が好きだったんですね。

桜子さん:ん・・・好きという自覚はなかったですね。

子供達の中で枠に収まりきれない私をみて、ピアノの先生からは、「この子は集団教育よりも個人のレッスンの方が合っている。」と親に提案されたみたいです。

その提案がきっかけとなって、小学校3年生から本格的にピアノを始めることになりました。

この頃になると、母に叱られなくても、1日中ピアノを弾いていたり、楽器屋さんにいりびたって、本棚の端から端まで楽譜を読んでいたり。

それで確か、中学1年生の頃に、ピアノの先生から「桜子ちゃんは本当にピアノが好きだと思う。音楽高校とか音楽大学という選択肢もある」って提案して頂き、 そんな道があるっていうことを初めて知ったんです。

どうせ生きるなら好きなことをやりたいし、そっちの道に行こうと決めました。

---なるほど!高校から音楽の学校に行かれたんですか?

桜子さん:いえ、高校は普通科に行きました。悩みましたが、ピアノの先生の意向もあったので。

近所にいい高校もあったので、そこだったら通学距離が短い分、ピアノにも時間を割けるという考えで決めました。 


ドロップアウトした高校・大学時代


---大学は音楽大学に進学されたんですか?

桜子さん:はい。でも実は、高校で完全にドロップアウトしたんです私。

ここから私の暗黒時代が始まりました(笑)

---暗黒時代!(笑)それはどんな暗黒だったんでしょうか?

桜子さん:心も身体も、ものすごく病んでました。とにかく悪いことばっかりしてましたね(笑)

---今の桜子さんからは全く想像できないですね。いつ頃まで暗黒時代は続いたんですか?

桜子さん:20代のうちはずっと続いていたと思います。なんとか変わりたくて、とにかくもがいてましたね。

夢や希望もなかったわけじゃなくて、だけどパワーが足りなかったんですよね。

生きる力が足りてなかったんだと思います。

そのようなわけなので、ピアニストとしてのキャリアは大学時代はほとんど積めなかったです。

身体も心もボロボロで、やっと生きてるという状態でしたから。

2016-06-20-17-19-37



人生が180°変わった出会い


---ここからどうやって立ち直っていったんですか?

桜子さん:このままじゃダメだと思って、いろいろもがいてる中で、「これだ!」と思うことがありました。それは人生が180度変わったきっかけですね。

一番最初のきっかけはネット上で知り合ったピアニストの方との出会いでした。

最初はネット上でやり取りをしていたら、とても気が合うので「会いましょう!」という流れで初めて会うことになったんです。

その方と初めて握手をしたら、その手がものすごい衝撃を受けたんです。なんだこれ!?って。 ものすごく不思議な感覚でした。

「この手はなんですか!?」と思わず聞くと

「わかりますか?実はタマラというエネルギーを使えるんです。使うことで自分のケアもできるけど、それ以上にピアノの音色も変わるのよ。」

と言われて、更に興味を持ち、その方のコンサートを聴きに行ったら、

「私の求めてたのはこの音だ!!」とドンピシャの音だったんです。

それで更に興味を持って、今でもお世話になっているNPO法人タマラアソシエーションのタマラさんを紹介して頂きました。

---紹介されて、すぐタマラさんに会いに行かれたんですか?

桜子さん:いいえ。だいぶ時間はかかりました(笑)

すごく興味があるくせに、ものすごく疑い深いという、ひねくれた人間だったので・・・

やっとタマラさんに会いに行ったくせに、タマラさんを前にしても態度最悪で。 

みんなが和気あいあいとしてる中で、一人だけ遠くから冷めた目で見てて(笑)。

ちなみに、その頃の写真はこれです(笑)。 

  荒川桜子さん
とにかく態度が悪かった頃の写真。

---別人!!!

桜子さん:ですよね!(笑)

でも、「せっかく来たんだからヒーリング受ける?」ってタマラさんは優しい言葉をかけてくださって、試しに受けてみたら、

「探してたのはこれだ!!」

と、またまた衝撃を受けました。

求めてたものにやっとたどり着いた!と思ったんです。

それまでは自分を変えたいと思って、催眠療法、セラピー、心理学や整体の勉強もしたり、ヨガもやったり、気功もやりました。

本当にいろんなことを経験しましたけど、タマラ・ヒーリングは本当に全然違いました。

---それってどういう感覚なんですか?

桜子さん:愛で自分が満たされてる!という感覚です。 それは私がずっと欲しかった感覚だったんです。

日々この満たされてる感覚を大切にしていたら、この感覚の変化だけで、絶対人生変わるはずだ!と思ったんです。


ピアノの先生!と呼ばれることに違和感を覚えた


---大きな変化が起こったんですね。

桜子さん:ヒーリングを受けて、自分でもできるようになってからは、不思議なことに、身体が回復し健康を取り戻しました。

メンタル的にも、今まで自分の感情や感覚にフタをして、やりたくないことを我慢してやり、自分を押し殺して生きていたことに気がつきました。

そんな自分の経験を生かして、極端なあがり症や、心身の故障など、自分と同じように苦しんでいる人達の力になりたいと思いヒーリングエネルギーを活かした音楽教室を始めたんです。

音楽教育を変えたい。教育のあり方を変えたい。という想いもありました。

レッスンは、一人ひとりの個性を生かして、自由にのびのびと演奏できるように正しい身体の使い方を教えていました。

身体と向き合うことを通して、心とも向き合い、自分らしく成長できるような場になれば、という願いもありました。

インターネットだけでの宣伝でしたが、求めてくださる方が多く、おかげさまで日本各地から生徒さんが集まるようになっていました。

---復活して、軌道に乗ってきましたね!

桜子さん:そうですね。ただ、自分を取り戻していく過程で、ふと「私、何になりたいんだっけ?」って思ったんです。

そしたら、「ピアニストとして生きたい」という答えが浮かんできたんです。

だから、今まで人から「ピアノの先生!」と呼ばれることに違和感を覚えてたのか!と腑に落ちました。

実は中学3年生の時にも、人の心を潤せるピアニストになる!って決めてたんです。

その後、闇の中で苦しみましたけど、ヒーリングを受けて自分を取り戻していく過程で、当時の想いと繋がったんですよね!

---ピアニストになるって決めてからすぐに行動を起こされたんですか?

桜子さん:行動せざるを得なかったですね。

想いの力ってすごくて、ピアノの先生やりながら、ピアニストになりたい!って考えてたら、当時の生徒さんが8割、9割一気にやめちゃったんです。  これも衝撃でした。本当にびっくりですよね(笑)

ただ、ピアニストになる!って決めても、授業もちゃんと受けてきてないし、コネもないし、ツテもないし。

だからネットで手当たり次第、「ピアニスト募集」というページを探しました。

そしたら北千住のピアノパブの「新規開店します!クラシックピアニスト募集」というページを見つけて。

すぐに申し込んで、オーディションを受けに行ったら マスターがだるそうに出てきて、

僕もびっくりしたんだけど、募集したらピアニストが100人来ちゃって、よっぽどのことができないとウチは取らないよ?」と言われたんです。

そんなー!!とショックを受けていたところに、さらに、「ラ・カンパネラくらい弾ければ別の話だけど」とお題を出されて。 

何回か練習したことある程度の曲だったけれど、絶対このチャンスを掴みたいっていう一心で「私、弾けます!」って言っちゃったんです。ハッタリをかまして。(笑)

それでマスターが私に興味を持ってくれて、なんとかオーディションを受けることができ、途中まで弾いたら、なんと合格して採用していただきました。

---すごい(笑)100人以上のオーディションをハッタリから突破したんですね!

桜子さん:そうなんです(笑)

8年前のここからピアニストとしてスタートしました。  

でもそこからは、劣等感との戦いでした。

そこのお店には、学生時代から優秀で有名で、既にピアニストとして活躍されている方ばかりが働いていて。

こんな凄い人達の中に自分がいるなんて、という感じで・・・毎日がコンプレックスとの戦いでした。

上手くなろう上手くなろうと必死でした。

生活もかかっていますしね(笑)。

でもコネもキャリアもない遅いスタートだから、他の仕事も厳しいものばかりで。

例えば、「あと3日で50曲仕上げてください」という無茶な仕事も、「やります!」って即答したり。

断るという選択肢は当時の私の辞書にはなかったですね(笑)

ただ、やってもやっても満たされなくて、苦しかったのを覚えてます。

荒川桜子さん
演奏活動をスタートした頃。

自分が生きていくことで伝えたい


桜子さん:タマラさんと同じ時期に三好彩さん(FCレアーレ代表/ロロシトア店長)と出会いました。

彩さんやロロシトアのご家族の、心からの「こんにちは!!」、心からの「ありがとうございます!!」という言葉と、心からの笑顔。

出会った瞬間から、ものすごい衝撃を受けました!

今までの私の人生、一体、何だったんだろう!!

って、全てが崩れさりましたね。

自分は、なんて浅く、薄っぺらに生きてきたんだろう、なんて恥ずかしい人間なんだろうと思いました。

それ以来、彩さんの生き方、在り方が、私にとっての憧れになり、理想になり、生きる手本になり、

自分ってなんだろう?自分らしい音楽ってなんだろう?と、生き方と音楽の両方をさらに深く考えるきっかけになっていきました。それは今でも続いていますね。

演奏活動を始めた頃も、本当に、色々考えさせられましたね。

なりたかったはずのピアニストになったのに、どうして心が満たされずに苦しんだろう。

どうして心から楽しむことができないんだろう。

夢が叶ったら幸せになれると信じて生きてきたのに、どうしてこんなに虚しいんだろう。こんな筈ではなかった。

日々悩みでいっぱいで。

タマラさんや彩さんに相談に乗って頂き、時には叱咤激励を受けながら、とにかく必死で自分と向き合いました。

ピアニストと言ったら、ドレスを着て、巻き髪で・・・というような姿になることだと思っていましたけどそれは本当の自分らしさではなかった、という事に気付いたのも、確かその頃でしたね。

とにかく日々、向き合って向き合っていろいろな気づきと試行錯誤を繰り返す中で

人が決めた勝ち負けや価値観じゃなくて、より私らしく生きよう、オンリーワンになろう、私自身の幸せのカタチを見つけよう、という気持ちが、どんどん強くなっていったんですね。

そうしているうちに、だんだんと、自分の想いや考えを表現出来るコンサートを企画して、開催するようになっていきました。

私という人間ありきで、いろんな想いを伝えるための手段が音楽だと、悩む中で答えを見つけていきました。

---自分と真剣に向き合って、また深く考えるようになったんですね。自分の考えが変化して、状況の変化は起きましたか?

桜子さん:はい。「あなたのテーマソングを作ります!」という企画で、作曲にも力を入れるようになったり・・・

「SAKURAKO CLASSICS」っていう、オリジナルブランドを作ってコンサートをするようになりました。

今までは、枠からはみ出したり、型にもはまれず、どこにも属せない自分を中途半端な人間だと、コンプレックスに思っていたんですけど、

それよりも、クラシックをあまり好きではないと思っている方達にも楽しんで頂けるコンサートを作りたい、とか、

ジャンルを超えて、いろんな芸術を融合させることを通して平和を伝えたいっていう気持ちの方が強くなっていて。

自分でもまさか、こんなことをするとは思ってなかったので驚いたし、これでいいのか?!と不安になったりしましたけど(笑)

でも、おかげさまで、今年の1月に銀座のヤマハホールで、「SAKURAKO CLASSICS」の単独コンサートを開催できて、300名の方々に来て頂けました!

ご来場くださった皆様に感謝です。この場でも改めてお礼を言いたいです。本当にありがとうございました!

そして、これも今だから言えるのですが、ヤマハホールのお話をいただいた時は、さすがに怯みました。

演奏活動をはじめてから紆余曲折ありながら、やっとお客様に安定して足を運んで頂けるようになっていたのですが、なにせ、これまで経験した人数の三倍の規模だったので。。。

「なんでわざわざそんところでやるんだ!」と家族まで大反対でしたしね(笑)

でも、この波はずっと待ち望んでいた波だったし、やるなら今だと思いきってやることに決めたんです。

とはいっても、どうやって集客したらいいかも、どうやって運営したらいいかも、全然分からなくて・・・

途方にくれて、何もできないまま、ピアノの下に座り込んで、気付いたら朝になっている、ということも何度もありました(笑)

衣装も決まらず、ほんとにどうしよう、ってなっている時に、友達が私に言ってくれたんです。

「ドレスは絶対、赤!それしかない!私には、桜子ちゃんが真っ赤なドレスを着て笑顔で舞台に立っているところが視えるよ!」って。

そういえば確かに、私自身も、赤いドレスを着てホールに立って客席を目前にしているヴィジョンを、10年以上前に視ていたんです。

それで「10年前に視ていたヴィジョンは、このことだったのか!」とやっと気付いて・・・。

胸がいっぱいになって思わず号泣しました(笑)

その時は、初めて自分で自分を褒めました。

「今まで本当に色々あったけど、何が正しいのかも間違いかも分からず必死だったけど、これでよかったんだ!!

諦めず音楽を続けてきて、諦めずに生きていて、本当によかった!がんばった!!!!」って(笑)。

荒川桜子さん


---そこでもまた過去と繋がったんですね。お話を聞かせて頂いて、僕もさらに自分と向き合ってみようと思いました。

今日はありがとうございました!最後になりますが、桜子さんがピアノを通して、人生で悩んでる人や、生き方で悩んでいる人に対して何か伝えたいものがあればお願いします。

桜子さん:こちらこそ今日はありがとうございました!私の記事、まとめるの大変そう!(笑)

最後に伝えたいことですか。そうですねー。。。

言葉だけじゃ伝えきれないですね(笑)。

伝えたいことはとても多いので、ぜひコンサートに来ていただいて音楽を聴いていただきたいです。

リアルな私という人間に触れて、何かを感じていただけたら嬉しいです。


そこには私の全てが詰まってるので、受け取ってもらえるものがあると思います。

だから演奏活動を続けていきますし、自分が生きていくことで伝えていきたいです。

今日は本当にありがとうございました。



荒川 桜子(あらかわ・さくらこ)
荒川桜子さん
愛に溢れるピアニスト。2016年1月、銀座ヤマハホールにて単独ホールコンサートを開催し、300名を動員する。 エネルギーワーカーとしても全国各地でワークショップやヒーリング、個人セッションも行う。過去の様々な経験があるからこそ、「自分の生き方・在り方で伝えたいことがある」と積極的に活動を続ける。


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