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今回取材させていただくのは、コーチング&コンサル業を軸とするTOP GROW株式会社代表取締役の近藤大悟さんです。

ガキ大将だった幼少期〜中学時代


--近藤さん、本日は宜しくお願いします!まずはじめに、幼少期のお話から聞かせてください。

近藤さん:こちらこそ宜しくお願いします!

幼稚園の時は、"僕発信"でみんなを集めて鬼ごっこしたり、新しい遊びを考えたり。遊びをする時はいつも中心にいて、"ガキ大将気質"だったと思います。

小学生の時は、6年間全て学級委員でした。推薦であったり、立候補だったり、なんかもう最後は"流れ"でそうなってましたね(笑)。

幼少期時代

--ガキ大将かつ学級委員となると、やはりモテましたか?

近藤さん:謙遜なく言うと...足も速かったので、モテました(笑)。でも、小学校2年生の時に悪ガキ度が開花してしまって....生意気にも担任の先生に強めに意見して、その先生を泣かせてしまったんです。

当時から、(それは違うんじゃないか?)と思ったらすぐに発言をするタイプだったので。ただ、泣かせてしまうくらいまでの発言をしてしまったのは、言い方含めて良くなかったなぁと子供ながらに反省してました。

--小学2年生でもう大人ですね(笑)

近藤さん:高学年ではさらにガキ大将で(笑)。でも決して喧嘩をする訳じゃなくて、周りの喧嘩を止めるような役割でした。

小学校4年生からサッカーを始めたんですが、父親が床屋を経営していて、当時は決して裕福な家庭ではなかったんですけど、そんな中でもサッカーを始めさせてくれて感謝しかないですね。子供の僕に貧乏だと感じさせなかった母親の存在も大きいです。

幼少期時代

--中学校時代のお話も聞かせてください。

近藤さん:中学校は、1学年270名くらいの人数で、かなり人が多かったんですよね。小学校時代とは違う人数の多さに萎縮しながらも、また流れで学級委員になりました。

部活は、サッカー部に入部して、1年生の時に学年の副キャプテンになりました。2年生になった時には、レギュラーになれたこともあって、2年生の中での学年キャプテン。3年生では、全体のキャプテンになりました。

サッカー部時代

当時、僕のサッカー部は愛知県で準優勝するレベルの学校だったんですけど、僕たちの代ではまさかの地区予選で敗退したんですよ。チームも決して弱いわけではなかったのに...

試合終了の瞬間は、悔しくて地面を思いきっり叩いてました...拳が血だらけになるくらい悔しくて、悔しくて。もうそこからは1週間以上放心状態でした...

--強かったのに負けてしまった要因は何だったと思いますか?

近藤さん:僕自身が、"個の力"だけでプレーしようとしていて、仲間を信頼できてなかったことが要因だと思います。ひたすらに全て自分で背負っていた記憶があります。練習含めて、チームをまとめることができてなかったですね。

その後は、プロになれる可能性がある高校に行こうと、サッカーの強い公立高校に推薦で行きました。

仲間からハブられ、結果も残せず、潰えたプロの夢


--そのまま高校時代のエピソードも聞かせてください。

近藤さん:サッカー部は、全国大会にも出場したことのある学校だったので、公立とはいえ立派な強豪校でしたし、僕は本気で「プロサッカー選手になりたい!」と思っていたので、ここからが本当の勝負だと思ってました。

でも、現実はそう上手くはいかず..

--何があったのでしょうか?

近藤さん:1年生の時にサッカー部からハブられたんですよね。当時、サッカー部では他の部活の人間を見下すような風習があったのですが、僕はそういう事は絶対したくなかったし、全く興味もなくて、他の部活の友達とも分け隔てなく話していたんです。

そしたら1対1でやる練習も、僕にだけ相手がいなかったり、急に無視されたりするようになって..それでも、途中で投げ出すことは絶対にしたくなったので、何とか最後まで続けよう!と辞めることなく続けました。

サッカー部時代(イメージ)

でも、結局Bチームでそこそこの結果を出す程度で終わってしまって、プロの夢は一気に崩れ去りました。

振り返ると、高校時代は"サッカーで楽しかった記憶"が一つもないですね...やっぱり好きな仲間とやるからこそ、スポーツって楽しいんですよ!

現役中は、2週間くらい家から出られなくなった時期もあったので、さすがに親からはかなり心配されましたね。完全な鬱状態で、起きようと思っても起きれなくて..

顧問から「なんであいつはずっと休んでるんだ!?」って辞めさせられそうになったんですけど、心あるマネージャーが「大悟くんはそんな人じゃない!」って庇ってくれたらしくて。

その一言だったり、周りの支えは本当に大きくて、「自分の決めたことは最後までやり切ろう」と思えたきっかけになりました。

今振り返っても、当時の状況を変える力がなかった自分が恥ずかしいですけど.....本当にあの時は"死にたい"って思ってましたね。

大学時代に取り戻した自信から、いざ社会人へ


--その後のお話も聞かせてください。

近藤さん:サッカー部を引退した後は、受験勉強をとにかく頑張ろうと思って一生懸命勉強しました。希望の大学にも無事に受かれたので、自分との約束は守れたと思います。

プロへの夢は高校時代で潰えてしまいましたが、サッカーは変わらず好きだし、フットサルサークルなら良いかな?と思って軽い気持ちで入ることにしました。校内にいくつかフットサルサークルがある中で、僕が入った所は人気度ダントツ最下位のサークルで(笑)。

でも、僕もサッカーはある程度できる方だったし、同級生にも上手い人間が何人かいて、2年生に上がった時には学校内で1番強くなりました。卒業後には、"学内1の大人気サークル"になって、今でもその人気は継承されているみたいです。

--不人気サークルが、一気に大人気サークルになったんですね!

近藤さん:はい。僕は、サークルの中では代表ではなかったんですけど、気付けば飲み会や大会関係も全部仕切るようになっていて、それがきっかけで自分なんかでも人に何か与えることができる人間なんだなって思い始めたんです。

あぁ..なんか自分らしくて楽しいなぁって思えて。

--高校時代に失いかけていた自信を取り戻したんですね。その後の社会人時代のお話も聞かせてください。

近藤さん:就職活動は、大学で自分らしさを取り戻せたこともあって、1回の人生でどれだけ人に貢献できるか?を試したくて、商社やメガバンク、証券会社をよく受けてました。

いくつか内定はもらってましたが、最終的に専門商社に入社を決めました。

--なぜいくつか内定をもらった中で、その会社に決めたのでしょうか?

近藤さん:決め手は、でした。

OB訪問を何回もさせてもらった中で、社員の方々から伝わる"優しさ"や"温かい人間性"を感じたんです。

入社1年目で、いきなり社歴10年の課長の仕事を引き継いだんですが、もう必死でガムシャラでした(笑)。

気付けば、その課長の歴代の営業成績を上回ることが出来ましたし、2年目、3年目でも過去最高の売上を更新したので、数字に対しては誰も僕を咎めなかったです。でも、大クレームが起きた時には、2ヶ月間ずっと中国にいたりとかもありました(笑)。

社会人時代

--1年目から何故そのような成果が出せたと思いますか?

近藤さん:うーーん...明確な答えはわからないんですけど。

今振り返ると、圧倒的に出来てたのは、お客様との信頼関係だと思います。トラブルがあればすぐに本気で謝りますし、指摘されればすぐ改善しますし。

あとは...自分が言った事は絶対守ったり、嘘はつかないとか。謝る時も電話だけでなく、必ず会いに行きました。

"一人の人に本気で向き合うこと"に関しては、何よりも大事にしていたと思います。

第二の半鬱状態...転職活動を開始するも全て落ちる


--簡単なようで、中々継続して出来る事ではないかもしれませんね。

近藤さん:結果は出せてはいたものの、入社3年目で悩み始めました。第2の半鬱状態です。

"俺は、誰の為にこの仕事をやってるんだろう?"、"もっとその人の為になることができるんじゃないかな?"って、当時扱ってた洋服をボーッと眺めながら1人で考えてました。

そこからは知り合いの経営者の方に話を聞きに行ったりしましたが、聞けば聞くほど自分が分からなくなるサイクルに陥って...

挙句の果てには、転職活動でいろんな企業を受けて、見事に全部落ちたんですよね。

面接で「君はウチの会社で何がしたいのかわからない」ってよく言われて。

"うわっ、、自分て今の会社で成績出してチヤホヤされてたけど、社会的価値ってこんなもんか.."って、思い知らされて、めちゃくちゃ落ち込みました。

当時の職場のデスク

--周りからすると結果も出して、一見順風満帆そうに見えても実際は悩みに悩んでいたんですね。

近藤さん:「最近元気ないけど大丈夫か?」って、さすがに社内や取引先からも心配されてましたね。

その頃、知り合いから紹介された松下政経塾に似たような塾が愛知県にもあったので、入塾してみたんです。

でも、そこで1年半ガッツリ学んでも、自分の中では何も答えが出なかったので、学びという点で考えた時に改めて教育って大事だよなぁと思い始めて...そこからは、僕の中のキーワードが「教育」になりました。

--近藤さんは、文部科学大臣の秘書をされていた経験があると聞いてますが、どのようなタイミングでそうなったのでしょうか?

近藤さん:塾の中で政治家に繋がりのある人がいたんです。文科大臣が秘書を募集してるタイミングだったので、すぐ議員会館で引き合わせをして頂いて。

そしたら僕の志を買ってもらえたので、「やります!」って二つ返事で秘書になることを決めて、会社も辞めました。あれだけ悩んで行動しても何も変わらなかったので、年収は半分以下に下がりましたが、一回環境を思いっきり変えて飛び込んでみよう!!と思って。

秘書時代

--秘書の仕事とは具体的にどのような内容なのでしょうか?

近藤さん:基本的には大臣のサポートです。勉強会に行って勉強したり、地元の地域で後援会を作ったり、訪問販売のようにマンションでビラ配りをしたり。選挙期間中は、朝5時から駅前に立って夜まで一日中なんて当たり前でした。

政治の仕事って無償で協力して頂くことが多いので、どれだけ"想いに共感してもらえるか"が大事で、応援されるためにはどうあるべきなのか?、"人"としての部分を考えさせられましたね。

--他に、何か気付きを得られた経験はありましたか?

近藤さん:大臣の仕事をしていく中で、文科省経由で教育関係の重鎮と呼ばれる方々にお会いする機会があったんですけど、圧倒的に僕と違ったのは、能力や才能とかではなく、自分の軸、ミッション、ビジョンが明確にあることでした。

自分がどれだけ信念を持ってできるか?が大事だと改めてわかったんです。

国のトップや業界のリーダーの姿をたくさん見させて頂きましたが、いくら良い政策を出しても、現場が変わらないと何も変わらないという事も分かりました。

世の中にとって"為になる"政策を打っても、訳のわからない所でマスコミに「癒着」って言われたり、本当に小さな事で揚げ足を取られたり...

だったら世の中に必要なことを民間から"1"から作って、ムーブメントだったり、世論を作っていった方が良いなと僕は感じたので、自分の力で、今悩んでいる人を助けた方が"絶対その人たちの為になる"と確信して、秘書をやめることを決めました。

"人の成長に直結することをやり続ける"


--独立時代のお話も聞かせてください。

近藤さん:そこからは、人材開発関係やコーチングスクールに通ったり、自己投資も800万円以上は使ったと思います。そのお陰で、価値観やビジョンを明確に作ることができました。

その後は、「自分と同じようにキャリアで悩んでいる人を助けたい」という想いから、コーチング&コンサル業で起業をして、現在は、サラリーマン、個人事業主、経営者と幅広い方を対象としてサポートをさせて頂いています。中でも、"社会人3年目前後でキャリアで悩んでいる方"のお手伝いをさせて頂く機会は多いですね。

僕自身が悩んでいたからこそ、"助けたい"という気持ちは強いですし、少しでも人の力になれればと思っています。有難いことに、最近だと保険の営業マンの方もお客様になることが増えてきたのですが、皆さん成績が確実に上がってきています!

--法人へも顧問として入られたりするケースはあるのでしょうか?

近藤さん:現在、契約を結んでいるのは法人5社です。こちらも、経営者のミッションやビジョンを明確にするお手伝いが中心で、社員の皆さんが社長と同じ方向を向けるように、お手伝いさせて頂いています。

--本日は貴重なお話を聴かせて頂きありがとうございました!最後に、生き方や働き方で悩む方へのメッセージをお願いします。

近藤さん:こちらこそありがとうございました!

とにかく僕は、人の可能性を最大化させたいという想いで日々動いています。"人の成長に直結することをやり続ける"ことが僕の中の明確なミッションなので。

だからメッセージとしては、あなたの可能性は無限にあるよってことですかね。可能性を生かすも殺すも、全ては自分次第だなって。

特に、「昔の自分はこんなんじゃなかったのに…」「自分の可能性ってこの程度だったのかな…」と思っている人に伝えたいです。

俺はできるやつって思っていてもなかなかうまくいかなかったりしている人に、そんなことは絶対にないと僕は思うので。

可能性を消してほしくないですし、もっともっと可能性を最大化させて輝いて欲しいと思っています。


近藤大悟 (こんどう・だいご) プロフィール
プロフィール

1991年生まれ。南山大学卒業後、大手商社にて勤務。文部科学大臣秘書経験をした後、全米NLP協会認定コーチ、一般社団法人エグゼクティブコーチング協会認定コーチの資格を取得し、現在は、コーチング&コンサル業を軸とするTOP GROW株式会社代表取締役を務める。