インタビューに答える小俣翔吾さん
今回の取材は、前回インタビューさせて頂いた赤谷貴士さんからのご紹介、不動産会社を経営する小俣翔吾さんです。

任されることが大好きだった学生時代


--大学生時代は、主にどんな活動をされてましたか?

小俣さん:"スポーツ全般サークル"のようなサークル活動を一生懸命やってました。メイン種目は、テニスとサッカーで、冬はスノボー。確か100人くらい所属してたと思いますが、よくある"飲み会をたくさんやるサークル"っていうよりは、とにかく"運動を頑張るサークル"でした。

大学生活(イメージ)

--サークルで100名所属は多いですね!その中で小俣さんは、どんな立ち位置だったんですか?

小俣さん:代表やキャプテンのように「人の上に立つ」というよりは、"人を引っ張る"立ち位置でした。サークルでの役職は特になかったですが、ゼミではゼミ長をやらせてもらったり、小中高もクラスや部活でもリーダー的な立ち位置で、キャプテンを経験させてもらえたこともありました。

--学生時代にアルバイトはされてましたか?そこでもリーダー的立ち位置だったのでしょうか。

小俣さん:レストランやガソリンスタンド、カフェなどで働いたことがありますが、その時も、"バイトリーダー"みたいな立ち位置になってましたね。アルバイトの「シフト管理・作成」も店長から任されていたので。

--そういう役割が好きなんですね。

小俣さん:はい。今でもそうですが、人から頼られるのがとにかく好きです。任されるのが嬉しいですし、人が喜んでくれるのが何よりも嬉しい。だから根本的に好きなんだと思います。

でも、自分のことを後回しにしてしまう癖があったり、頼まれ事を断るのが苦手なケースも多いので、それが自分の課題だと思っています。社会人時代は、それが原因で苦しかった時期がありました。

小俣翔吾さん

1年目から鬱になった社会人時代


--大学卒業後の就職活動、社会人になってからのお話も聞かせてください。

小俣さん:ぼんやりとですが、学生時代から起業したいなぁとは思っていました。父が家関係の仕事をしていたということもあって、「不動産会社」か「住宅メーカー」が良いなと。

不動産は、"大きなお金を動かすやりがい"もありますし、生活に密接なものでもあるので、お客様に直接「ありがとう」を言ってもらいやすい。

そんな仕事ができたら良いなと思って、不動産会社に就職を決めました。主に、マンションなどの集合住宅の販売をする仕事でした。

--入社前と入社後のギャップはありましたか?

小俣さん:たくさんありましたね(笑)。僕は入社したら、すぐにでも「地方に行って働いてみたいなぁ」と思っていたんですが、見事に東京に配属されて(笑)。

しかも、僕の直属の上司はめちゃくちゃ厳しくて、時に言葉遣いも乱暴な40代の方でした。

18時が定時なんですが、毎日帰るのは23時〜24時くらいで。帰ろうとすると「あれ、もう帰るの?」って言われたり。終電を逃して漫画喫茶に泊まることもしょっちゅうでした(笑)。

社会人時代(イメージ)

--肉体的にもそうですが、精神的にも辛いですよね。

小俣さん:病院に行ってないので定かではないですけど、1年目の10月くらいから鬱になっていたと思います。食べまくって12キロ太って、上司に返事する際には声が思うように出なくなったり。すごく辛い1年だった記憶があります。

インタビューに答える小俣翔吾さん

--よく、すぐに辞めなかったですね。

小俣さん:でも、さすがに2年目の5月くらいから転職活動は開始してましたよ(笑)。

僕は、目標があれば頑張れるタイプなので、独立を見据えて「宅建の免許を取る」という目標を掲げました。そして、もう一つの目標に「契約を取ること」をセットして。

とにかくこの2つの目標を達成するために、全てを集中することに決めたんです。

--目標達成はできましたか?

小俣さん:はい。宅建も無事に合格して、1年目の1月末に契約も取れたんですが、達成した後は目標を失ってしまいました...

後輩が4月から新卒として入社してくるんですが、上司が部下への教育に対してもプレッシャーをかけてきて、またしんどくなりました。

救われた母親からの一言


--転職活動のその後の動きも聞かせてください。

小俣さん:当時は、自暴自棄だったので、とにかく色んな会社を受けました。でも、自分の生き場所を探す感覚がすごい楽しかったですね。

僕の1番の救いは、母親が「翔吾の好きなようにしなさい」って言ってくれたことです。僕がストレスで太りまくっていたり、休みの日も仕事をしていたのを知っていたので、僕の身体のことをすごく心配してくれていて。だから辛くても続けられていたっていうのはあると思います。

でも、転職活動を続けて初めて不動産以外の世界を見た時、色んな職種の方から話を聞く度に、「あれ、、!?もしかして俺フィールドを変えても同じ事繰り返すかも...?」って、急にふわふわした気持ちになったんです。

社会人時代(イメージ)

やっぱり「石の上にも3年なのかなぁ?」って思って、結局内定を2社辞退して、退職はしないことに決めました。

--辞めなかったんですね!結局何年続けたんですか?

小俣さん:4年いましたね。上司との付き合い方、接し方は、経験と共にだんだんと習得していたので、同時にストレスからも開放されていきました。

辞める直前に、その厳しい上司が珍しくご飯に誘ってくれて、その席で初めて褒められたんです。

俺の元で辞めずに残ったのはお前が初めてだよ。よく食らい付いてきたな!」って。

厳しいことばっかり言われて辛いことも多かったですが、その中でもコツコツと信頼関係を作れてたんだな..と思えて、涙が出るほど嬉しかったですね。今、振り返ってもあの時辞めなくて正解だったと思います。

起業するも、投資に失敗し、仲間にも裏切られる


--独立した後の話も聞かせてください。

小俣さん:26歳で退職をして、ビジネスパートナー2人と一緒に会社を設立しました。不動産会社として、賃貸仲介・売買仲介をしている会社です。

僕は、人の間を保つとか、サポートをするのが得意なので、”家探しのサポートをする仕事”というのは自分に合ってると思いますし、とてもやりがいを感じています。

でも、最初からうまくいき続ける訳もなく、投資詐欺に騙されて500万円くらい飛んじゃったり、パートナーの1人に裏切られたり...ホント色々とありましたよ。(笑)

人間不信になりかけた時期もありましたが、お陰で"信頼できる人と一緒に仕事をすることが大切だよな"って気づくことができました。

インタビューに答える小俣翔吾さん

--なぜそこから這い上がれたのですか?

小俣さん:動きを止めなかったことが大きかったと思います。僕は、1人でいるとどうしてもネガティブになってしまうので。

とにかく色んな人に会って、相談を聞いてもらったり、自分の周りの人たちに自分から進んで協力することで、また自然と頼られるようになったり。

そうすると、あぁ..自分は必要とされてるんだなぁって思えるので、元気出るんですよね。あの時、1人で塞ぎ込んでいたらとっくに終わっていたと思います。

人として当たり前のことを当たり前にできるか?


--今の仕事に対する想いを聞かせてください。

小俣さん:僕は、「Can=できる」の仕事をやっているだけです。「自分ができることをやる」という本当にシンプルなこと。

だからこそ次は、「Want=したい」の仕事を増やしたいです。今は、次のステップを踏んでいる段階だと思っています。

今はまだ小さい組織ですが、いつの日か大きい組織を動かしてみたいですね。

やっぱり僕は人の為に動くのが好きなので、まだまだ人に頼られたいですし、不動産以外の部分でも人の力になりたいと思っています。

--少し広い意味になりますが、小俣さんが人生で意識していることは何かありますか?

小俣さん:"親しき仲にも礼儀あり"ですね。挨拶はもちろん、誰に対しても時間を取って頂いたら「ありがとうございます」ですし、いかに"人として当たり前のことを当たり前にできるか?"が大切だと思っています。その部分は日常からすごく意識してますね。

--本日はありがとうございました。最後に、生き方・働き方で悩む方へのメッセージがあれば、ぜひお願いします。

小俣さん:こちらこそありがとうございました!

メッセージですか..やっぱり、"足を止めるな!"ですかね。新しい経験の中で、どんどん失敗はして良いと思いますが、その意味を腹に落とすには数を打たないといけないと思うので。

今の時代は情報が溢れてますけど、自分の足で稼いだ情報に本当に価値があると思っています。

他人から聞いた情報や、ネットで調べた情報だけで判断するのではなく、自分の目で見て、自分の頭で考えて、物事を判断できる大人になれると良いのかなぁと思います。

まだまだ僕も勉強させて頂きながら、もっと人から任されるように、自分自身を成長させていきたいです。


小俣翔吾 (おまた・しょうご) プロフィール
小俣翔吾さん
大学卒業後、大手不動産会社にて4年勤務。入社1年目から宅建を取得し、全国でも有数のTOP営業マンとなる。26歳で独立し、不動産会社を経営。人から頼られるのが大好きな青年実業家。