
今回インタビューさせて頂いたのは、元吉本興業所属のお笑い芸人で、現在は金融関係の会社経営をされている赤谷貴士さんです。
園内パトロールするほど周りに気を遣っていた幼少期
--赤谷さん、今日は宜しくお願いします。まずはじめに、どんな幼少期を過ごされたのか教えてください。
赤谷さん:今、振り返ると周りに気を遣っていたなぁ..と思います。幼稚園の時は、自由時間で一人になっている子がいたら、率先して遊び相手になって、おままごとに付き合ったりしてました。"誰か困ってる人いないかな?"って探したり、いつも園内をパトロールしてた記憶があります(笑)。
--そんな子供いるんですね(笑)。園内にそんな子がいると、幼稚園の先生も助かりますね。
赤谷さん:でも、小学校3年生の時の家庭訪問で、担任の先生からは逆に心配されてました。「赤谷君は周りに気を遣いすぎていて、家でわがままを言えているか心配です」って。
--家庭でもそんな子だったんですか?
赤谷さん:らしいです(笑)。全く手の掛かる子供ではなかったと母親は言ってました。

左:長男 右:次男の赤谷さん
母親が、長男が生まれてすぐに育児ノイローゼになったみたいで、おそらく次男の僕の中では、"母親を笑わすのは自分だー!!"という想いが強かったんだと思います(笑)。
--幼少期から頼もしい子供だったんですね。小中高時代のお話も聞かせてください。
赤谷さん:人を笑わせるのが得意だったので、クラスでは比較的人気者だったと思います。小学校からサッカーを始めて、中学でサッカー部、高校時代もサッカー部でした。

右:赤谷さん
でも、高校途中でサッカー部は辞めたんです。新しく来た監督から、「スポーツ推薦取るから、お前らの代は試合に出れても2,3人だぞ」って言われて。それでも諦めず、遅くまで練習しましたが、練習試合ですら全く試合に出れなくて、もはや出れる雰囲気もなく、結局1年生の10月で心折れて辞めたんです。
周りは心配して、「赤谷がサッカー部辞めるとか考えられない」って言ってくれました。それくらい周りからは衝撃だったみたいですが(笑)。それからはこれまで仲良かったサッカー部とご飯を一緒に食べるわけにはいかないから、一人でよくご飯を食べてた思い出があります。
空き時間は、窓の外をボーッと見てたりして..クラスの女子たちからも心配されるくらいでした(笑)。
--サッカー部を辞めてから相当孤独な時間を過ごされたんですね。
赤谷さん:でも、12月にハンドボール部に入部したので、孤独な時間は少しづつ減っていきました。
サッカー部には、中学から仲が良かった友達がいたんですけど、そいつは高校もサッカー部で頑張っていました。その姿を見て、たとえ試合に出れなくても、理想的な結果が出なかったとしても、なんかカッコいいなぁと思って、ハードルがいくら高くても頑張った方が良いケースもあるんだなって気付かされましたね。
それに比べて自分は途中で辞めてダサいなって。

インタビューに答える赤谷さん①
カラオケでも腹筋!"サッカー 一筋"だった大学時代
--大学時代のお話も教えてください。
赤谷さん:大学は、一番家から近い大学を選んで、指定校推薦ですぐに決まりました。推薦が決まった後は、一人でランニングしたり、サッカーの自主練習をずーっとしていました。
入学後は、サッカー部に入って週7日で練習。全体練習を終えた後は、ナイターが使えるギリギリの時間まで黙々と自主練習をしていました。
なんせ高校時代にサッカーで死ぬほど悔いが残ってたので、途中で努力を辞めたら絶対に後悔するという想いが相当強かったのを覚えています。
自分の中では、「たとえ試合に出れなくても努力をし続ける」という目標設定だったので、あくまで過程が大事だと思ってましたが、継続した努力のお陰で自分の代では試合に出れるようになりました。
--まさに"サッカー 一筋"だったんですね。大学時代は遊んだりはしなかったんですか?
赤谷さん:周りから飲み会とか、遊びによく誘われてたんですが、しょっちゅう断ったり、カラオケ行ってもみんなが歌ってる横で腹筋したり。トレーニングしてからお店に直接走って合流して、また走って帰るみたいなことをしてました(笑)。

サッカー部時代の写真-後列右から3番目
芸人になると言えず「消防士になる!」と嘘をつく
--めちゃくちゃストイックな学生ですね(笑)。次に、卒業してからのお話を聞かせてください。
赤谷さん:就職先は、スポーツ経験を生かしてフィットネス系も考えましたが、怪我したら終わりだなと思って、特にそれ以外やりたいこともなかったので、「メーカーで土日休み」を希望して受けて、大学4年の春にすぐ就職は決まりました。
--最初に経験されたお仕事の思い出はありますか?
赤谷さん:2,3週間で辞めたいと思いました(笑)。入社後すぐに1ヶ月間研修があって、先輩の営業同行をしていました。
OJTで僕に付いてくれた先輩は、"超"意識高い系のサラリーマン!その人は会社の中では一番帰りも遅くて、同期がみんな早く帰ってた中、僕だけは最後まで帰れなかった(笑)。
辞めたいなぁ...ってぼんやり思い始めてから、何日経っても"辞めたい"が変わらなかったので..1年目の7月に辞めるって決めて、すぐに上司に話したら、全然辞めさせてくれなくて..
--そこからどうやって辞めたんですか?
赤谷さん:実は、その時芸人になろうと思っていたんですが、親に「芸人になるから会社辞めるわ」って言うと絶対びっくりさせるし、悲しませちゃうから、絶対人には言えないなって思ってて、とりあえず会社には「消防士になります」って嘘をつきました。
そしたら、「消防士の試験に受かってから辞めなさい」って言われて(笑)。

インタビューに答える赤谷さん②
でも、結局11月くらいに正直に「実は..芸人になるから辞めたいんです」って白状して、びっくりはされましたが、ちゃんと話し合って3月いっぱいでなんとか辞めることができました。
4月にNSC(吉本総合芸能学院=吉本興業が創立した、新人タレントを育成する目的で作られた養成所)の面接があって無事に合格して入学。でも当時の僕は、何の為に生きてるかわからなかったですね。
--そもそも、なんで芸人になりたいと思ったんですか?
赤谷さん:自分が1番面白いとは全く思ってなかったんですが、昔から"面白い!!"って友達からもよく言われてましたし、当時の自分はお笑いにしか興味がなかったので。
とにかくキツかったNSC時代
--NSC時代を振り返っていかがですか?
赤谷さん:僕は、NSC16期として入学しましたが、キツかったですね(笑)。今は時代的に絶対ないだろうけど、昔は上下関係が本当に厳しくて...入学早々から怒鳴られることなんて当たり前で、ココでは言えない事も色々ありましたよ。半年間はキツかったですね。
同期のみんなでご飯に行っても、"いかに自分が面白くいられるか?"がみんな最優先だから、"他の奴の言うことには笑わねー"みたいな雰囲気満載で(笑)。"うわー、、ソリ合わないわー"ってずっと思ってました。
でも、社会人上がりの人達はそんな尖りはなくて良い人が多かったですね。
--コンビも組まれていたんですよね?
赤谷さん:何人か組みましたが、上手くいく事もあればあんまり上手くいかない事も多くて、組んでは解散を繰り返してました。
NSCを卒業して半年後くらいに、当時25歳の時の年度末だったかな?正式に吉本の芸人になって、同じクラスだった社会人上がりの上石さんとコンビを組みました。

左:上石さん 右:赤谷さん
でも、コンビ結成して3、4ヶ月で吉本を辞めて、1年くらいでまたいろんな事情も重なって、コンビは結局解散しました。
上石さんと組む前にトリオを組んでいた時期もあったんですが、その仲間の二人から、「お前が辞めるのはもったいないよ。面白いから続けた方が良いよ!」って言ってくれて。
自分が本当に面白いと思ってた二人からそう言われたから、"俺って芸人を目指す卵の中でも面白い部類には入れたのかもなぁ"となんだか思えたので、逆に悔いなくキッパリ辞めることができました。
27歳実家暮らし、両親の前で号泣
--その後の動きも教えてください。
赤谷さん:次に正社員で働く場合は、少しでも自分に合った会社にしたいなって思って、養成所時代と並行して、ありとあらゆるバイトを経験してました。
カメラのキタムラでも、工場でも、スポーツジムでも、整体師もやったし、MC業もやったし、結婚相談所の経営者の人と街コンも主催したり、でもこれだ!って思うものが中々見つからず..
転職サイトのリクナビもマイナビも、1日8時間以上見てたけど、見つからなくて。

当時のイメージ。
当時付き合っていた彼女から「あなたはルート営業とか良いんじゃない?」って言われて、道路の測量機の営業を受けてみたら、人事の人からコミュケーション能力を買われてすんなり受かりました。たしか27歳の時だったと思います。
--どんなお仕事内容でしたか?
赤谷さん:1日の半分以上は車の運転で、先輩の隣に座ってました。主に、測量機のレンタル機器回収と貸出ですね。回収して、またすぐ新しい物を届けに行くっていうサイクルで。
でも結局3週間で辞めちゃいました。もう会社に行きたくなさすぎて、60歳までこの仕事はキツいって、涙止まらなくなっちゃって(笑)。
当時、27才実家暮らし。両親の前でも泣きまくった記憶があります(笑)。
翌々月に、次は老人ホームの営業になりました。コールセンターから電話があったら、予算に応じた老人ホームまで車でお客様を連れて行って入居を決めてもらう仲介役みたいな仕事でした。
でもそれも、長く会社に居る先輩に"給料が思った以上に上がらない"という話を聞いたり、離職率も異様に高いという事実を知ったりで、3ヶ月で辞めました。
--いや、結構辞めますね(笑)
赤谷さん:はい(笑)。
その後は、高校時代の友達から保険営業の説明会に誘われたのをきっかけに、28歳の12月に保険会社に入社しました。
1月から配属されて保険営業を始めたんですが、僕は知り合いにお金をドンと払わせるのが苦手で..安い積み立てばっかり提案してたこともあって、2月か3月くらいから手取りが9万円になっちゃいました。
また辞めようと思ったんです。でも、ある時に稲妻が走るが如く電撃が走って、「あっ、これまた繰り返すなぁ」って思って。
まずは、この状況をなんとかしたかったから、YouTubeとかネットで「仕事 モチベーション」で検索しまくりました(笑)。
その中で見つけた、斉藤一人さんという人の話をたくさん聞いていて一番引っかかったのが、
「今、自分の人生が辛い状況にあるのなら、脳に"この状況はおかしい"と自分に問い続けなさい」
この言葉が本当にしっくり来たんです。
自分は小さい頃から人には優しくしてきたし、人を傷つけるような迷惑はかけてないのに、手取り9万は絶対におかしい!当時は白髪も生えてきてたし、本気で死にたいって思ってましたから。
手取り9万の自分はかっこ悪いし、めちゃくちゃダサい!当時の僕は、とにかく自分のことをネガティブに捉える天才でした。
でもそれを自分自身で思ったり、他人にそれを嘆いていても、何も変わらないし、幸せになれないなって気付いたんです。そこからは全部を受け入れて、自分のことを認めてあげるように意識しました。
基本的に前向きにポジティブな思考へとチェンジして、気持ちが吹っ切れました。動かないと何も始まらないということにも気付いたので。
保険営業の方法も、新しい繋がりを作る為にネットで新たな出会いを探したり、苦手な飲みの席だろうが、自分の知らない場所だろうが、"呼ばれた場所には全て行く精神"でいろんな場所へ果敢に飛び込んで行きました。
その流れの中で出会った人に、新しい仕事を紹介されたり、自分の知らない分野の話も聞けたり、保険の成績は今一つでしたが、視野は格段に広がりました。

--新しい前向きな動きをしたことによって、景色が変わってきたんですね。
赤谷さん:そうですね。当時は、自分だけじゃ幸せになれないと思っていたので、幸せそうな人に会う度に「どうやったら幸せになれるんですか?」って聞いてました。
みんな共通して口にしていたのは、「困ってる人がいたら助けなさい」でした。
保険の営業に繋がらなくても、男女の出会いが欲しいって言われたら、紹介したり、繋げてみたり、イベントを開いたり。目の前の人の為に、自分のできることをやる!を意識しました。
--その後、特別な変化はありましたか?
赤谷さん:相変わらず保険の成績は伸びませんでしたが、ある日1社目の会社の同期が「FXの会社を作らないか?」と誘ってくれて。
彼は、サラリーマンをやりながら自己投資をして、資金を運用しながら、事業になり得るものを確立させていたので、保険会社を思い切って辞めて、29歳の8月に二人で金融系の合同会社を作りました。
最初の2年間はひたすら営業をしてましたが、扱っている商材のパフォーマンスが非常に良い事もあって、気が付けば紹介だけで回っていくようになりました。
ここからですかね?人生で初めて、時間とお金に余裕ができたのは。そこから人生が楽しくなってきたんです。起業していたこともあって、人生相談に乗ることも増えました。
本業とは別にカウンセラーやコーチングを半年くらいほぼボランティアで続けてたんですが、途中から疲れちゃって。今、思えばそれも迷走してたかもしれないですね(笑)。
自分の感情を優先したら、流れが変わった
--しっくり来た言葉をきっかけにそれを行動へと変えて、だんだんと良い方向へ進み始めましたね!そこからの転機は何かありましたか?
赤谷さん:1年半前のクルーズ旅行がきっかけでした。"関わるべき人"と"関わるべきでない人"がなんとなく分かるようになったんです。多分、カリブ海の力だと思うんですけど、自然の力というか..なんか感じるものがあったんですよね。

カリブ海旅行時に見た夕陽
脳がクリアになったのが良かったんだと思います。好きな人に自分の時間とエネルギーを使うようになってからは、全く営業してないのに、会社の売上が上がるという不思議なサイクルが起きて。
ここで自分に合ったスタイルを確信したと同時に確立することができました。
--今は何を意識して動かれてますか?
赤谷さん:"自分の感情を大事にすること"を優先してます。よく、その時の熱量だけで「それ、やります!協力します!!」っていうプロジェクトや案件、話があるじゃないですか?
でも、2,3日経ったら熱は冷めて、"やっぱり違うな.."ってなる事もある。その時は無理に引っ張らず、ちゃんと正直に「ごめんなさい。やっぱりやらないです」って早い段階で相手に言うようにしてます。
「僕は、みんなの引き立て役でいい」
--赤谷さんは、人助けになぜそこまで時間を注ぐんでしょうか?
赤谷さん:この世の中は、誰しもが"貢献したい"っていう細胞があるはずなんです。やりたいことよりも自分のできることでいろんな人に喜んでもらうことが、僕にとっての生きる意味だし、使命だと思ってやってるところはあると思います。
得意の他己紹介だったり、人をご紹介する事というのは、人が喜んでくれるからやり続けられます。でも、僕にできることってたったそれだけなんです。
--普段の赤谷さんからは聞けない話も聞けて、とても勉強になりました!最後になりますが、生き方・働き方で悩む方へメッセージをお願いします。
赤谷さん:たくさんありますけど、「やりたくないことはやめなさい」かなぁ...僕は、いっぱい辞めてきた人間なので(笑)。
辞めることって意外と重要で、最初は難しいかもしれないですけど、最初は愛想笑いをやめるとか、そのレベルからで良いと思います。
自分の本当の気持ちを言わないのは、我慢になるし、それは結果的に非効率。本音を言うのは、覚悟と勇気が必要ですが、自分自身のストレスは減らせるはず。
ちゃんと自分の感情と向き合って、それを大事にすれば、必ず幸せになれると信じてます。
これからも、好きな人たちの経済だったり、自己実現の応援やサポートに全力を出したいと思ってます。
僕は、みんなの引き立て役でいいんです。

左:赤谷さん 右:取材・文 高松隆太
赤谷貴士 (あかたに・たかし)

FXの事業を展開する会社経営者。イベントMCや結婚式の二次会司会進行、キャリアカウンセラーとしても活躍。『幸福度を上げるスペシャリスト』として、"困っている人を助ける理念"で多方面で好きな人の為に活動中。