相原米夫さん

今回取材するのは、30年に及び、5つ星から2つ星のホテルにおけるマネジメントや、レストランマネジメント・総支配人として活躍された、トゥルー・マネージメント株式会社代表取締役の相原米夫さんです。

ドラマに憧れ、強引にホテル業界へ飛び込む


--まず初めに、相原さんがホテルで働くまでの経緯を教えてください


相原さん:高校を卒業して、18歳の時に浜松町の芝パークホテルでアルバイトをしていました。高校から付き合っていた女性と結婚することになったのは、確か20歳の時だったかな(笑)。

その後、虎ノ門にある印刷会社で8年くらい働いたんですが、28歳の時に"やっぱりホテルで働きたい!!"って思って、転職を決意しました。ちょうど二人目の子供が生まれる時でした。

--ホテルへの熱い想いはいつ頃から抱き始めたのでしょうか?

相原さん:小説があるんですよ。18歳の時に読んだアーサーヘイリーの「ホテル」っていう本があって。それが何十年も前にテレビ化されたんです。加山雄三さんが主演のドラマ。

彼がルームサービスから総支配人になるまでのドラマだったんですが、もうハマっちゃってすぐに憧れました。

--28歳の時にホテルへの想いが再燃して、どのような形で就職を決めたのでしょうか?

相原さん:昔、アルバイトニュースというものがあったんです。そしたら、ちょうどパレスホテルが中途採用を募集しているのを見つけて、迷わずすぐに電話しました。

"25歳まで"って募集要項には書いてあったんですが、「自分28歳なんですけど、大丈夫ですか?」って無茶言って(笑)。

「いや、25歳までです。」って人事の課長に即答で言われたんですが一歩も引かず、「勿論わかってますが、レストランも婚礼も宴会でもなんでも大丈夫ですから」ってアルバイト経験がある事を良いことに啖呵切って、1時間くらい粘りました。

そしたら向こうが、「じゃあ面接やるからおいで」って言ってくれて、面接のチャンスをもらって。

面接でも勿論強気で通して、「1週間後に返事しますね」とその日は終了。

まだかまだかと連絡を待っていたら、本当に1週間後くらいに電話がきて、「採用します」と。もうホント強引な就職ですよね(笑)。

「その代わりルームサービスだからね」って言われましたが、「よっしゃ小説通りだな!」と、内心ガッツポーズ。

入社当初は、年下の先輩たちに毎日バカにされながら働きましたよ。確か毎日2時間睡眠で。結構しんどかったですよ(笑)。

--総支配人になろうと思ったのはいつ頃なんですか?

相原さん:ヒルトン東京ベイに入ってからですね。ヒルトンは外国人がいっぱいいるんですよ。トレーニーと呼ばれる総支配人候補たちですね。いわゆる幹部候補生です。

彼らのオペレーションを見ていても全然""が違いますもん、衛生管理なんて特にきっちりやる。意識がまるで違う。ディズニーのような非日常の場所に、壊れた物や傷があっちゃいけないですよね?傷があったらすぐ直すでしょ。そんな感覚を彼らは持っていた。

お前は何を目指してるの?って聞くと、みんな「GMに決まってるだろ」と返ってくる。そんな彼らと一緒にいるとやっぱり感化されるんですよね。

"これはGM目指さないとダメだよなー"って思って、確か36歳の時に総支配人になることを決めました。こっちは学歴ないけど、やってやるぞと。
晩餐会時の相原さん
国賓の宮内庁の豊明殿宮中晩餐会へサービスの為参加した当時の写真

ホテル業界から一転、お茶の世界へ!?


--以来、ヒルトン東京ベイ、ハウステンボスにて料飲部門の責任者を務め、ウェスティンホテル東京で宿泊部門責任者として活躍された後、2003年に旭川パレスホテルで総支配人になられました。総支配人就任に至った分岐点やポイントがあればお聞かせください。

相原さん:実は、総支配人になる前年に鎌倉へ1年間行ってるんですよ。お茶の家元に。

僕がウェスティンホテルで少しくすぶってる時に、今ディズニーランドホテルで社長をやっているチャールズ・ベスフォード氏(ヒルトン時代の上司)から、「ホテルではないんだけど、鎌倉のお茶の家元がホテルで働いてる人を探してるんだけど、行くか?」って言われて。

その頃はホテルで余りにも嫌な思いをしていて、"もうホテルで働くのはやめよう"とも思っていたので、「じゃあ行きます!」と。お茶の世界に行ったんです。

それでまた面白いのが、鎌倉の建長寺で家元奉仕の献茶式っていうのがあるんですけどね、年に1度。「お茶会のお手前をあなたがやりなさい」って急に言われて。

「えーーーっ!?嘘でしょ?」って(笑)。だって何十年も経験のある先生方でさえやらないのに。「絶対できるから。先生ちゃんとつけるから」って言われましたけど、ほぼ無茶振りでしたよ(笑)。

相原米夫さん

1日15回ですよ?65人ずつ(笑)。もう覚悟決めて、100日間毎日家に帰ったら10回練習しましたよ。お陰様で、本番は1回も失敗なしで終えることができました。羽織袴だから、立つのも大変で(笑)。

お茶の世界は驚きばかりでしたが、大変貴重な経験もさせて頂きました。小泉総理の首相官邸まで行かせて頂きましたから。

--1年間でとても濃い時間を経験されたんですね。お茶の道へ行かれたという情報はどこにも載っていなかったので、意外でした。

相原さん:波乱万丈どころじゃないですよ、もうめちゃくちゃ(笑)。

ところが、お茶の世界へ行ってからちょうど 1 年が経った頃に、またヒルトンの上司から電話があったんです。「旭川で総支配人の仕事があるんだけど来ないか?」って。

ホテル再建を図る為、300人全員と面接


--その後は、旭川パレスホテルの業績を大幅に改善した1年3か月を経て、2005年にはソラーレホテルズ&リゾーツの運営する、“神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ”に異動、総支配人に就任されました。この期間で、何か印象に残っている出来事はありますか?

相原さん:立て直しをやってた時ですかね。従業員300人全員が疲弊している所に行くようなもので、潰れた引目からか、"どうぜ誰が来てもダメでしょー"って思ってる従業員がほとんど(笑)。300対1みたいなものですから、こちらが燃えた勢いで行かないと向こうも火がつかないんですよ。

相原米夫さん

まずは、コミュニケーションを取ることからで、全員と面接をやりました。幹部クラスとは1対1で、幹部以外は10名や20名ずつくらいの面接でしたけど、全員やりましたよ。

面接はこっちから向こうを見てると思うじゃないですか?違うんです。向こうからこっちを見てるんですよ。"今度はどんな奴が来たんだ?"ってね。

面接-イメージ写真
面接時の様子(イメージ)

まず一番大切な事は、従業員が疲弊している理由がわかるようにすることなんです。こっちから「このホテルは何がおかしいと思う?」ってどんどん聞いて。

ある例で言うと、レストランの冷蔵庫。キッチンの冷蔵庫13台のうち7台が故障してるって言うんですよ。「えっ!?なんで直さないの?」って聞くと、「言っても直してくれないんですよ。経費節約だって。」

もうびっくりしてね。思わず「はっ?」って言ってしまいましたよ(笑)。

お金のことはいいからと、「見積もり出してごらん」って言って、すぐに全部修理したんです。

従業員側からすると、今まではいくら「直してくれ」って言っても直してくれないのが、一気に直すと"ちょっと違うなこの人は.."ってなる。

期待感というかね、この人なら改善してくれそうって気持ちが出てくるんですよね。そこから信頼関係が作られたり、モチベーションが上がっていく。日頃からの従業員とのコミュニケーションは強く意識しました。

信頼関係が出来上がった後は、数字をあげないといけないわけですが、"あの人はやってくれる人だからやってあげよう"という気持ちになってるんですよ。最初の小さな糸くずが、だんだん大きくなっていく過程を目の当たりにしました。

「売上を上げる為に、このワインを売ろうよ!」という施策の話や、戦略的なことを提案しても、従業員の頭にスッと入っていくようになる。

トゥルー・マネジメントって今コンサルの事業をやっていますが、いかにコンサル会社がいい加減なことをやってるか?"真実のホテルコンサル"を僕はしたいと思って、この名前をつけています。

料理もサービスも抜本から見直し、オリエンタルホテルをV字回復へ


--2010年より新浦安のディズニーパートナーシップホテルである、“オリエンタルホテル東京ベイ”の総支配人に就任されました。こちらで具体的に実践されたことは何かありますか?

相原さん:トップセールスですね。とにかく自分が動いていって、最初は人間関係を作る所から徹底的にやりました。

地域の演奏会をロビーでやらせて欲しいという依頼も喜んで受けましたし、地域のお祭りなんかやる時には全面協力です。縁日やバザーとかやるんですけど、僕のホテルは、5,000円くらいの食事券を10枚くらい協賛で出してました。

他のホテルは渋ったり、出さない所がほとんどでしたが、コストで見れば1,500円×10枚で、15,000円くらいですよ。全然大したことない。それで地域が盛り上がるならと、喜んで出しましたよ。

--地域と一緒に盛り上げるぞ!というスタンスだったんですね。その他で改善されたことはありますか?

相原さん:当時、オリエンタルホテルは"食事がまずい"と言われていました。私も試食してみようと、カレーを食べてみたんですが、これが全然美味しくないんですよ。どう考えてもしょっぱい。厨房行って料理人に食べさせたら、「はい。これがウチのカレーです。ちゃんとレシピ通りに作ってます」って言うんです。いやいや、しょっぱいでしょう?って。

--原因は何だったんでしょう?

相原さん:煮詰まってるんですよ、作ってそのまま温めてるから。そんなレベルでしたから、さすがに料理は抜本から改革しました。

--料理を変えて何か変化はありましたか?

相原さん:婚礼は、料理単価13,000円だったんですが、これが16,000円まで上がりました。550組ですからインパクト大きいですよね。料理を提供する上で一番は、やっぱり美味しいこと。その上で、飽きさせない工夫だったり、演出力が大事だと思っています。

レストラン(イメージ写真)
イメージ

おもてなしの面で言うと、僕は総支配人に就任したらすぐに市長や商工会議所会頭に挨拶へ行くんですが、行こうとしたら営業の人間が「ウチは市長から嫌われてるんでやめた方が良いっすよ」って言われて(笑)。

それならサービスも一から改善しようと、車のナンバーも全部ドアマンに覚えてもらったり、市長が来る時には全部連絡してもらって、営業部長も僕と一緒に毎回ホテルの玄関までお出迎えをして、挨拶行くようにして。やれることは全てやりました。

そしたらすぐに「あなたの所はパレスホテルと同じことやりますね」ってお褒めの言葉を頂くようになりました。やっぱりトップが人間関係を作ると、営業マンが営業をやりやすくなるんですよ

--この"正直者がバカを見ない会社"とはどういった真意でしょうか?(雑誌のページを指差しながら)

HOTERES_2012.5.4_
出典:週刊ホテルレストラン「HOTERES」2012年5月4日発行

相原さん:ズルする人間がいるんですよ(笑)。

異動してきた人間の歓迎会をやった時の話です。歓迎会が終わった後に、接待された人間が「領収書くれ」って周りに言ったそうで。周りは、(後でお金を戻してくれるのかな?)って思ってたら、その後も音沙汰なし!

経理で調べたら、領収書を提出して会社からお金をもらってるわけですよ。自分は一円も出してないのに(笑)。

「お前そのお金どうしたの?」って聞いたら、「あ、、」ってしどろもどろになって。その従業員は、レストラン内でも仕事中に裏でしょっちゅう携帯ゲームやってるって有名でもあったので、「穏便に辞める?」って言って辞めてもらいました。

本当ね、そういうズルする人間がいっぱいいるんですよ。

震災でのホスピタリティー精神が感動に繋がる


--オリエンタルホテルへ就任された翌年に3.11がありました。震災当時のお話も詳しくお聞かせください

相原さん:震災が起こった直後、周りのホテルは自分の所の宿泊客を優先して全て閉めてましたが、電車も動かないとなったらどうしようもない状況。帰宅難民が駅前に溢れていたわけですよ。

みんな帰れないから、駅前のオリエンタルホテルのロビーに人が入ってきたので、おにぎり出したり、お茶出したり、お水出したり、ご予約のお客様、そうでない帰宅困難者に対して出来る全てを尽くしました。

従業員も「ロビーは下が石で冷たくて、寒そうにしてて可哀想です!宴会場やカラオケの部屋へ移動させてあげましょうよ」って提案してきて。それがすごく記憶に残ってますし、嬉しい瞬間でもありました。自らそんなことを言ってくれる従業員を誇りに思いましたし、みんなで協力してブランケット出したり、お水出したり。そんな姿を見て、素直にすごいと思いました。

地震直後に、本社の担当者は「帰らないとまずいですよ!」って言ってさっさとタクシーで帰ってましたが(笑)。やっぱり僕はね、ズルさを持ってる人はどうしても許せないんですよね。いくら学歴を持ってたってズルしたらだめ。

--震災後で印象に残っている出来事はありますか?

相原さん:3.11のその週は、結婚式を土日で2件やりました。どうしてもやりたいって新郎新婦が希望していたので。勿論ウチも「やるならやりましょう」って喜んで引き受けて。

ホテルは大きな本管が入ってるから、水もガスも電気も大丈夫でしたから。60名のお客様が40名くらいになりましたけど、何とかやり切りました。なんてたって、結婚式は一生に一度ですからね。

レストランは、1件だけすぐに営業を再開して、ボランティアでも良いからって、原価スレスレのバイキングをやったと思います。計画停電で電気がつかない時にはキャンドルを上手く使って。

来店は40名くらいでいいかなって思ってたら、有難いことに実際は180名入りました。「いやぁ、家で料理が作れないから助かりました」って皆さん本当に喜んでくれて。

その後何が起こったかと言うと、通常営業に戻った時に皆さんまた戻って来てくれんたんです。

3,4,5月は、宿泊は全部キャンセルで稼働率0%が続いていて、まさに1部屋も売れてない状態でしたが、5月の末くらいから正常に戻り始めて、皆さん一気に戻ってきました。

--帰宅難民で困っていた方も戻って来られたんですか?

相原さん:はい。2週間くらいお菓子や手紙がたくさん届きました。従業員も手紙を読んで励みにして、喜んでましたよ。なんと言っても、被災された方へのホスピタリティー精神が教えなくても出来ちゃうっていうのは本当に嬉しかったですね。これが商売に繋がっていくんですから、有難い限りです。心から感動しましたね。

表紙を飾る相原さん
相原さんが表紙を飾った震災の次の年の「HOTERES」-出典:週刊ホテルレストラン「HOTERES」平成24年6月1日発行

キザな言い方をすると、当時のホスピタリティーの気持ちが、全て感動に繋がっていきました。人間、非常事態の時の方が人間関係が正常に戻るんですかね。

今のコロナという非常事態でも、そういうものが垣間見えるかもしれませんね。

目標を持ち、諦めない気持ちを持つことが大事


--相原さんがお仕事をする上で大事にされていることは何かありますか?

相原さん:一生懸命やること、ベストを尽くすことだと思います。

"人に喜ばれるためにやる"っていうよりは、"一生懸命やってたら喜んでくれる人がいる"っていう感覚でいます。でも、それを実践できる舞台があるっていうのはまず幸せなことですよ。

--本日は貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました。最後に、今を生きる若者へメッセージをお願いします。

相原さん:目標はしっかり持ってもらいたいですね。あとは諦めない気持ちを持つこと。諦めないって簡単なように聞こえますが、これがいかに難しいか?

エベレストの頂上を目指すから、戻ってもまた挑戦ができるわけで。臨機応変に変化する能力もつけないといけない。時には戻る勇気や、撤退する勇気だって必要なんです。だから、やっぱり死んじゃだめですよ。

目標を持つこと、そして諦めないこと。やっぱりこの二つは大切だと思います。

相原さん・高松
左:相原米夫さん 右:取材・文 高松隆太

相原米夫 (あいはら・よねお)
1952年生まれ。一般企業勤務を経て1980年パレスホテル入社、料飲部宴会事業部配属。1987年ヒルトン東京ベイ料飲部、1990年NHVホテルズインターナショナル・ハウステンボス4ホテル統括料飲次長、以後、ウエスティンホテル東京など4ホテルで宿泊部、料飲部責任者や総支配人を経験し2010年オリエンタルホテル東京ベイ総支配人に就任。震災後に稼働率99.9%を5か月間続けたほか、館内すべてのレストランおよび宴会婚礼部門などすべての部門を黒字に転嫁させ、ホテル全体のGOPを大きく上げるなど好成績を残した。現在は、5つ星から2つ星のホテルにおけるマネジメントや、レストランマネジメントおよび総支配人としての成功実体験に基づく実践型コーチングを行うことを特徴として、シティホテル、ビジネスホテル、リゾートホテル、ウェディングビジネスおよびレストランを対象としてコンサルティングを行う。

▼会社HP
http://true-management.co.jp

▼現在マネジメントを行っているレストラン
芳喜楼
千葉県館山にある『芳喜楼』
名物の伊勢海老フカヒレつゆそば
名物の伊勢海老フカヒレつゆそば

▼HP
http://houkirou.com